ジェームズ・W・ヤング『アイデアのつくり方』、或いは加速主義的な知的態度批判

最近教養が足りないことを自覚する機会があまりにも多くて、学部時代の自分を呪いたくなります。教養の源泉はどこだろうかと考えた時に、たちまち思いつくのは本です。はてなブックマークで「大学生 本」などと調べれば以下のようなページが平然として4桁のブクマ数で現れます。

http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2014/06/100-80dd.html
大学教師が新入生に薦める100冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

このページの「まず読むべき三冊」をポチって本日二冊が届いたわけですが、そのうちジェームズ・W・ヤング(1988)の『アイデアのつくり方』の帯には「60分で読めるけれど一生あなたを離さない本」といった謳い文句があったものですから、こちらから読んでみたわけです。

アイデアのつくり方

アイデアのつくり方

話の内容としては、外山滋比古(1986)の『思考の整理学』で長文に渡って紹介されている知識運用の話に近いのですが、この本を読んでいっそう確信しつつある物事があります。それは、人が一般にアイデアを欲するとき、それを効率よく得るための道具や方法を――目的を手段化させないことに注意を払いながら――学ぼうとするのですが、そこには「速度」に対する絶対的な信仰が暗黙の前提として紛れ込んでいるということです。

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

『アイデアのつくり方』、『思考の整理学』で提案される知識運用のレシピには、必ず「醸成期間」が設けられます。それは有意識的な活動ではなく無意識的な活動であって、不可欠な段階とされています。どうも、アイデアを短時間で得たいという欲求は、アイデアを発見するのが有意識的な主体としての自分でしか有り得ないとするように思えてなりません。それは、「楽をしたい」という効率性との共犯的関係によっても促進されるものでしょう。

巷に溢れているブレーンストーミングのようなアイデア出しのツールは、短時間のうちにアイデアを集団的に発生させる装置として持て囃されていますが、魅力的なアイデアを必要とされる多くのプロジェクトは、アイデアを産み出すために沢山の時間を確保しているはずです。そのような知識に対する態度(知的態度)は加速主義的な形態(モード)であると言えます。

また、日常的な場面でアイデアを必要とすることは(スペクタクルな体験を送る主人公にでもならない限り)あり得ないでしょう。事あるごとに「じゃあブレーンストーミングをしよう!」と言い出すギャグ漫画なら納得できますが、なんにしても無条件にアイデアを崇める知的態度は過剰主義的な形態であるとも言えます。

ただ私は、彼らが思うにせよ思わないにせよそうなったことについて批判する意思はありません。むしろ、そうなっても不思議ではない知識環境に彼らが置かれているというニュートラルな見方を取ります。また、何が知的態度から長期的な俯瞰視野やミニマリズムを剥奪する方向に作用させるのかについても興味を持っています。

これらの問いについて出来合いの解答を持ち合わせていません(持ち合わせようにも、今現在この記事を書きながら考えた問いに即興で解答するほどの醸成期間を確保しようがない)。ですが、今示しうる端的な事実として、速度の追求者は直ちに善や幸福といった価値観を切り捨てねばならず、むしろ加速を追求したことによって本来その時間を確保することで獲得できたかもしれない「可能性」さえも切り捨てているということです。

加速主義的な知的態度への批判はこれぐらいにして、『アイデアのつくり方』に関するいくつかの疑問を課題として残します。

  • 一つ目は『思考の整理学』を挙げたのもそうなんですが、川喜田二郎(1967、1970)の『発想法』『続・発想法』や野口悠紀雄(1993、1995)の『「超」整理法』『続・「超」整理法』などといった、知識生産管理に関する書籍はどのような社会的背景や読者の需要などから生じたのでしょうか?

発想法―創造性開発のために (中公新書 (136))
続・発想法―KJ法の展開と応用 (中公新書 210)
「超」整理法―情報検索と発想の新システム (中公新書)
続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法 (中公新書)

  • 二つ目は、加速主義的な知的態度(や情報の消費態度を含んでも良いでしょう)について、テクノロジーと密接に関わるメディアが人間の時空間的な感覚をも変容させるというポール・ヴィリリオの議論に引き付けると何が言えるのでしょうか?

教養が得られたかどうかは別にして、よりアイデアに(無意識的な態度を包摂して)意識的な知的態度を自覚することができたのは、この本のお陰だと思います。また大学に置いておくので、読んでみたくなっった弊学の人はTwitterで声を掛けてください。何日も貸し出すまでもなく、その場で読みきって何かを持ち帰ることができると思います。