MTFの女性用トイレ利用が「バレないゲーム」という批判

MTFの女性用トイレ利用が「バレないゲーム」という批判 がありうるだろう、という長文を書きました。

***性犯罪とセクシュアリティ

①ヤフーニュース個人 https://news.yahoo.co.jp/byline/ogawatamaka/20170919-00075941/
②ハフィントンポスト http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/18/sexual-molester_a_23248308/
東洋経済 http://toyokeizai.net/articles/-/194291

少し前に痴漢冤罪が話題になったこともあってか、性犯罪の加害者臨床をしている斉藤章佳氏へのインタビュー記事が相次いでいます。③はタイトル付けが少しおかしいと思いますが、それでも全般的には、痴漢行為と性欲の因果関係を否定する斉藤氏の主張は面白いと思いました。電車内の痴漢行為そのものは、ほとんどが男性が女性に対して行うものであることから、一見すれば、男性の女性に対する性的指向(いかなる性を性愛、性欲の対象とするか)と紐付けられるのですが、これは結果論にすぎない、というわけです。

いいかえれば、「性犯罪」と呼ばれる行為の中には、加害者の動機に対する性的な意味付けを指して「性」犯罪と呼ばれるものもあるのだと思います。スリルを経験するという意味では、盗撮もその類に入ってくるでしょう。友人の寝顔をバレないように隠し撮りした経験のある方は、被写体が見知らぬ他人に置き換わることを想像していただければよろしいかと思います。いっぽう、①と②の記事中で触れられている強姦という犯罪は、どちらかといえば加害者の性的指向が性行為という性犯罪の手段と結びついた「性犯罪」になってくる気がしなくもありません。しかし、強姦は加害者が被害者の身体を撮影して通報をさせないように脅すなどして捕まるリスクを低減させるケースも存在するので、「通報されない」ことを「バレない」ことの延長上に置いた犯罪としては痴漢行為と共通していると考えることもできそうです。

***トランスジェンダーの自分にとってのトイレという場の意味づけ

自分もあまり他人事でないなと思うのが、トイレの問題です。ボクは男性として生まれながら男性でない性を社会的に生きようとする、いわゆる「MTF*1トランスジェンダー(Transgender、TG)*2で、日常生活では公共の男女別トイレを利用するとき、基本的に女性用トイレに入室しています。消極的理由としては、男性用トイレに入室することで他人から「結局男性なんだ」と看做されることが苦痛から逃れること。積極的理由としては、ボクが女性用トイレに何のトラブルもなく入室する/入室したことで「ボクは女性の特権的空間に立ち入る資格があるのだ」という個人的な達成感を得ることが挙げられます。

例えば、最近日本の世田谷渋谷区役所などの公共施設などに登場している、性別やセクシュアリティを問わない「だれでもトイレ」は、このうち消極的理由を解消する材料にはなりえるでしょう。しかし、だれでも利用できる以上は、性別による特権的な意味を「だれでもトイレ」は利用者に与えられません。「お前はトランスジェンダーだろ、あっち行けよ」とでも言われているような気分になるでしょう。もちろん、女性用トイレの既存の利用者からの露骨な反感を買うのだとしても、です。

***女性用トイレへの入室は「パスする」ゲーム?

ここまで一段落を消費してボクは女性用トイレに入りたいんだという溢れ出る自意識についての話をしたんですが、もう少し女性用トイレに問題なく入室することがトランスジェンダーにとって持つ意味について言及します。トランスジェンダー当事者のスラングに、生まれながらの性と異なる性として社会的にうまく溶け込めるかどうか「パス(pass)度」という言葉があります。たとえばボクは日常生活において公共施設などの女性用トイレを他の利用者に咎められることなく使用していますが、このとき「筆者はパス度が高い」「パスしている」などと表現します。パス度が高ければ、レストランや映画館などでレディース料金を利用しても*3その場では是非を問われる可能性が低いということです。

本稿では踏み込んで言及しませんが、パスする難易度はFTMよりもMTFの方が高いです。するとどうなるか。パスできる当事者とパスできない当事者*4で当事者内の序列化が生じることはもちろん想像に難くないでしょうけれども、それをも踏まえながら、パスの成功が、当事者のセクシュアリティ的な達成から浮遊した一種の「パスする」ゲームとして当事者間で競われることになります*5。ですから、「筆者は他のパスできていないMTFへの優位性を得たいがために女性用トイレに入室したがっている」という見方はありうるでしょう*6

***「バレないゲーム」と読み替えられうるという批判の課題

話を戻すと、このような「パスのゲーム」の観点からすると、MTFの女性用トイレの入室は、痴漢行為や盗撮行為と変わらないという批判がありえます。なぜなら、「パスのゲーム」といえば当事者的には快いですが、既存の利用者からすれば「バレないゲーム」に過ぎないからです。ストレートに言えばMTFのやってることは犯罪ではないかと。犯罪に対する指摘に対しては、日本の法的には犯罪にはあたらないという反論はできますが*7、もっと大事なのは、法的に犯罪であることではなく、その「犯罪性」を問われていること、つまり慣習のレベルにおける、日本の男女別トイレ利用規範が問われているのです。すると、物事の「是非」というよりは、まずこの規範に切り込んでいくのが適切なアプローチのように思われます。また、これは社会学専攻の筆者自身の興味によるものですが、トイレ自体が近代化した現代にあってどのような位相にあるのかも見極める必要があるように思います。

次に取り組むものがが見えてきたところで、いったん筆を休めることにします。長々と呼んでくださった方にお礼を申し上げます。もし、「お前は物知らずだ!」ということがありましたら、可視的なかたちでお叱りのコメントを頂戴できると泣いて喜びます。

***訂正(2017年10月25日)

だれでもトイレ」を設置しているのは世田谷区役所ではなく渋谷区役所の誤りでした。お詫びして訂正致します。本文は打ち消し線で明示的に修正済です。

***参考文献

森山至貴『LGBTを読みとく』(筑摩書房、2017)
筑摩書房のウェブサイト

*1:Male To Female、「男性から女性へ」の意

*2:歴史的経緯から、広義の「トランスジェンダー」と狭義の「トランスジェンダー」が存在します。元々は性別への違和に対して望む性で社会的に生きることを望む人々をトランスジェンダーと呼んでいたのが、肉体的な手段による性別違和の解消を望む「トランスセクシュアル」(Transsexual、TS)や、異性装を手段とする「トランスヴェスタイト」(Transvestite、TV)といった人々をも包括する概念として、広義の「トランスジェンダー」が90年代に登場しました(参考:森山至貴『LGBTを読みとく』(筑摩書房、2017))。

*3:それらの制度が背景にもつ本来的な趣旨とは異なることとは別として

*4:スラングで「ノンパス」と言われます

*5:現場では孤独に競っているという意味では「自分との戦い」かもしれない

*6:この見方を筆者自身は否定しておく。他の当事者と競う以前に、パスできるかどうか分からない自分と戦っているからだ

*7:この日本の法的な事情については別稿にでも書きたい