『キャラの思考法』買った冒頭読んだ報告
大衆文化・サブカルチャーをテーマないしサブテーマに扱う卒研が増えてきているなかで、「キャラクター」、「キャラ」という概念は抑える必要のある要素だと思うのです。伊藤剛、大塚英志といった論者がそれらについて語っているものの、「オタク」的とされる文化の範疇の議論であることは否めず、またボク自身も予想される議論の体系化の作業量に躊躇していたところで、いっそ学部で「キャラクター概論」みたいな講義ができないかなぁなんてことも思ってました。
そこにふと、@someruという方の『キャラの思考法』を上梓したという報告と興味をそそる補足のツイートを目にしたのです。「きたか!?」と思ってアマゾンでワンクリック注文して今日それが届きました。
- 作者: さやわか
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2015/12/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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https://twitter.com/suneo3476Pro/status/679231341246873601
とりあえずⅠ章「キャラ×アイドル 新しいキャラの時代」1節「組み合わされる女 初音ミクの居る時代」だけ読んだんですけど、某新書タイトルをパロって簡潔に要約すると『初音ミクは中森明菜を超えた』という内容です。それはつまり、受け手がただ送り手から与えられた物語をそのまま消費するのでなく、受け手の側から送り手に対して自由に物語を作り出して読み替えられるような、アイドル的存在の「きれいな偶像性」が中心的トピックになってきます。架空アイドル「芳賀ゆい」、2ちゃんねるの「オマエモナー」とのまネコ問題、デスクトップマスコット「伺か」といった事例を参照しながら、受け手同士のムーヴメントとしての比較を行っています。
この節だけ読んでも、残りを読むのが楽しみになってきました。ただ、読後感として不思議な「物足りなさ」も感じるのは何故なんでしょう。どうやらボク自身には、このテクストを議論ではなく一種の創作物、作品として見なす態度が潜んでいて、それがボクにこの議論の拡張あるいは補強、事例の追加といった物語への積極的介入を欲望させるように働きかけてくるのを感じるのです。たぶん、そんな読者と書物のインタラクションを楽しむエンタメとしての読書ならそれが許されるのでしょうがw。
買った報告、頭だけ読んだ報告でした。