「IDプログラムはCSプログラムより楽」言説について

CSプログラムの学生は落とせない必修講義を沢山抱えているとか、長時間の拘束を余儀なくされている実験があるなどといった実情は、先輩からも同期からも後輩からも、リアルでもTwitterでも、さおだけ屋のように何度も聞かされ続けてきました。聞く度に「本当に大変らしいですね……」と同情することしかできなかったと思います。ISプログラムである自分は、楽なカリキュラムを通過する怠惰な人間だと考えることもしばしばありました。

実際、ISプログラムの専門科目ではグループワークがいくつも発生して打合せや作業が生じて、多少心身にダメージを受けたこともあったものの、「これくらいで文句言っているようじゃCSプログラムの方々に失礼かな」と思って、Twitterでは鬱憤の代わりに得た技術的知識の還元やその日飲んだ調味料の感想を垂れ流していました。それが正しいんだと思っていました。

よくCSプログラムと比較して「楽」とされるのはIDプログラムだと思います。元々自分が持っていたIDプログラムに対する印象としても、レポートの量が多いものの、思考の生産で済むならば比較的楽なのではないか、というイメージがありました。Twitterで観測する限り、IDプログラムが大変だという言説はほとんど見かけた記憶がないので、実際ほとんど不満は無かったんだろうなぁ、と勝手にイコールさせてきた節がありました。

しかし、最近になってIDプログラムの事情を聞く機会が増えてくると、実はそうではなく、IDもCSと同等か、そうでなくともISに比肩する大変さなのではないか、と思うようになりました。そういえば、IDプログラムはシラバスで講義の情報は知っているものの、実際そこで何をしているのかほとんど知りませんし、「比較的楽」というイメージも勝手に構築してきたものでしかありません。それは「何も知らない」のと同等だったということです。

でも、IDプログラムの知り合いが皆無だったわけではありません。先輩にも同期にも後輩にも知り合いは居ましたし、実情について聞くチャンスはいくらでもあったはずです。しかしここで、自分達のプログラムの大変さについて話題にする我々が異常なのではないか、という恐ろしい疑問が生じてきます。半分私的ではあるが、半分公共的でもあるTwitter空間で、当然のように自ら不満を並べ立てる学生達こそが異常であって、感覚が麻痺していたのではないでしょうか。そして、IDプログラムの学生のほうがよっぽどモラリストなのではないでしょうか。

自分はISプログラムの立場でCSプログラムの学生に同情することで、プログラム中立性とでも言うような何かを獲得していたと勘違いしていたのだと思います。Twitterを内情の告発を可能にする格好のツールとして都合よく捉え、無責任な言説の構築に加担してきたのだと、恥じています。それがいかに非生産的であるかは言わずもがなでしょう。そもそも「呟かない」という発想が頭に無いんですから……。これほど自分にがっかりしたことは無いので、かなり凹みながら書いています。

もし、IDプログラムの学生がTwitter上での言説能力を身に付け始めると、いつかCSプログラムとISプログラムの学生の言説が喝破される日が来るんだろうなぁ、と思います。冷静に考えても「IDはCSより楽」といった類の発言は他の領域を軽視しているというかリスペクトに欠ける態度ですし、「知らないんだかから仕方ない」などという見苦しい口実は見たくもしたくないものですね。

現実として分野横断的な交流の場は無いという課題や、そこで私達が身に付けるべきものは何か、それをどうやって身に付ければ良いのかという課題が残りますが、こりゃ自分一人じゃ手に負えないなぁという気分です。なんとなく、新たな問題が見えてきますけど、今はちょっと直視したくないので、今日はここで止めます。