ショッピングとブラウジング

普段着の購買欲が臨界点に達したので、イオンモール市野へ買い物に行ってきました。欲しかったのはショートトップス、カーディガン、ショートパンツ、ストッキング、靴で、靴だけは欲しいモデルのぴったりサイズがどうしても見つからなかったので諦めました。さっと買い物済ませて帰ろう〜と思ってたら、かれこれ6時間ずっと歩きまわって、帰りはもうへとへとで「はらドーナッツ」買って食べてました。気晴らしを兼ねていたとはいえ、5品探すのに6時間掛けたことにショックを隠せません。買いたい物は買えたしまぁいっか。

ただ歩き回ってるのは退屈なので、店舗や買い物客を観察して「視界のいい店舗空間は店員が買い物客を把握しやすい反面、買い物客は常に店員の視線を意識せざるを得なくなりそうだし、店舗空間デザインとしてちょっとどうだろう。」とか「宣伝を押し出しすぎると客が避けやすくなるのはウェブサイトでも同じというか、人が安心して行動できる空間デザインのパタンが考えられそうだな。」みたいなことをひたすらぐるぐると考えていたので、身体だけでなく頭もすごく疲弊してしまいました。だって、否応無しに大量の視覚情報が飛び込んでくるんですもん。

まぁ、色々考えたなかで探索行動の話をしたいです。

ショートトップスを探すとします。まず館内を歩きまわってショートトップスが存在するお店を特定しますが、「どれでもいいんだけど、候補を絞りたい」と考えて、素材や値段を確認しながらもう一周します。それでも「やっぱりどれでもいいんだけど……」となってしまう。ここで考え方を変えて商品ではなくお店に目を向けまして、「今日欲しいショートトップスは、ローラの夏コーデみたいなやつだ。それに近いマネキンのコーデが置いてあるお店に絞ろう。」となりまして、最終的にハニーズで数点買いました。

今振り返ると、初めの探し方では普段自分がネットで調べ物をする方法を踏襲していました。そこでは情報の内容が目的に合致するかが大事なのであって、その情報を誰が提供しているかは問題になりません。有名人の本名が知りたければ、ググッていくつかのサイトを比較すれば正解に近い情報が得られる可能性が高いです。しかし、現実の買い物ではそうはいかず、同じ内容の商品を複数のお店が提供するとき、誰かが提供する商品を選ばざるを得ないのです。ショッピングは相当のリテラシーを要求される娯楽のようです。

ポール=ヴィリリオはテクノロジーが知覚を変容させる力について説明していることは以前にも触れました(id:suneo3476z_tn:20150711:1436597441)。ヴィリリオは戦争に関係するテクノロジーを彼の著書でいくつも紹介しているため、暗にテクノロジー批判を行っているかのように読めないこともないですが、氏はあくまでニュートラルな立場で記述的に議論を行っています。そこからは、テクノロジーが人間を変えることに対する前向きな意思が感じられます。

自分の現実の探索行動がネットでの探索行動から無意識のうちに影響を受けていたことを自覚したのですが、人間が自然に体得する探索行動とネットで身につく探索行動の優劣をつけたいのではありません。放置して育った人間が体得した探索行動が社会でなかなか役立たない場合も考えられるでしょうし、むしろテクノロジーが人間の探索行動を適正化するツールになる可能性も考えられるでしょう。人間は生物である以上、自然的なものと人工的なものを分節してしまいがちですが、それらを統合する観点や概念そろそろ登場して良い頃なのではないでしょうか。