清水良典『あらゆる小説は模倣である。』書評・感想

 研究でオリジナリティについて深く考える必要が出てきたので、「オリジナリティ」、「創作論」をキーワードにこの本を選んで読みました。

あらゆる小説は模倣である。 (幻冬舎新書)

あらゆる小説は模倣である。 (幻冬舎新書)

 小説に慣れ親しんだ世代である筆者は二次創作に慣れ親しんだ世代の小説作家志望者にも小説を顧みることの重要性を説いています。それは頭ごなしの小説至上主義の押し付けなどではなく、後の世代からも優れた作家を育てたいという文学界、小説界の発展の願いによる配慮や思いやりに基づくモチベーションの表れだということが、本文の随所からひしひしと感じ取ることができます。
 この本の説得力は筆者の涵養な文学知識に裏打ちされていると言ってもよいでしょう。言い換えれば、模倣・オリジナリティから見る文学史の入門書と言えます。文学の歴史的潮流が構造主義アウラの死、作者の死、間テクスト性といったキーワードが現在までに結びつく連続した語りとしてまとめられていますが、時にはSMAPの歌詞と教育問題を同時に語られ「何が起きたんだ」と困惑するような文章も展開されます。ですが、そのような伏線も後できちんと回収されますし、こうした文章が他の多くの作家や思想家が引用される本文の一部として戦略的に挿入されるところに、読者に安堵を与える物書きとしての実力を感じざるを得ません。
 たまたま先輩がやる夫スレの二次創作をヤウスの受容理論で分析する研究をしていたのを思い出したので気づいたのですが、セルトー(1925-86)の「密猟」(『日常的実践のポイエティーク』(1987))の概念が紹介された時に、時期の近いヤウス(1921-1997)の「期待の地平」・「地平の変化」(『挑発としての文学史』(1976))の概念があえて紹介されなかった理由は何故でしょうか? 紙面の都合とも取れそうですし、話題の複雑化とも取れそうです。これはセルトーとヤウスの関係を勉強してから改めて考えることにします。
 結局、「あらゆる小説は模倣である。」と言い切られました。自分の研究上の関心に近づけると、「あらゆるレポートは模倣である。」いうことになります。そして、ただ模倣をすれば良いのではなく、「もとの<文献>を土台にして別個の<文献>に仕上げてしまう巧みな模倣」が推奨されることになります。学生のコピペを行う思考回路の原理を捉え、阻害し、巧みな模倣をさせるにはどうすればよいか。本に掲載されている「模倣創作実践講座」の解説を参考にしながら(パクりながら)自分なりにアレンジを加えて考えていく(創作する)のがあたしのこれからの楽しみになりそうです。