キャス・サンスティーン『熟議が壊れるとき』第1-3章まとめ

 グローバルコミュニケーション特論(担当:岡田泰平)の輪読でキャス・サンスティーンの『熟議が壊れるとき』第1章〜第3章を担当してレジュメ切った。せっかくなので公開する。読むと分かるけど第1章に7割、第2章に2割、第3章に1割未満のエネルギーが割かれてる。最後におまけとして日記が書いてある。

第1章 熟議のトラブル?――集団が極端化する理由(早瀬勝明訳、原文は2000年)

0. 簡易的なまとめ

 サンスティーンは熟議が民主政の成立に必要と考えているが、全面的に擁護しているわけではない。
集団討論における集団極化のメカニズムによって、熟議が良い方向にも悪い方向にも傾きうるからだ。
サンスティーンのこの章での仕事は、集団極化をけして悪と断じたいのではなく、どのような条件下に
おいて熟議における集団極化が起こりやすくなるのか、またそれが悪い方向に転じるのかについて様々
な事例を通して点検・吟味しようとしている。
 社会的カスケード現象の話題は集団極化とのコントラスト差を出すために引き合いにされている印象。つまり、社会的カスケード現象は集団極化と異なり熟議を伴わないことが多いと強調されている。また、カスケード現象は社会で一様的に起こる現象を広く捉える概念であるのに対して、集団極化は集団の内部の意見の一極化・極端化を対象にしている。
 サンスティーンは理想的な公共圏形成として、さまざまに競合する考え方を持った異質混交な構成員による熟議を推奨する一方で、社会的に劣位な立場にある孤立集団との共存も掲げている。社会的マイノリティである孤立集団は必然的に構成員の傾向が偏るため集団極化しやすく、過激化した場合の社会的なリスクが懸念される。サンスティーンは孤立集団が外部情報をシャットアウトせず、競合する集団との情報交換を促すといった危険の回避方法について検討している。
 まとめると、サンスティーンは異質混交的な集団と孤立集団で構成される公共圏を想像し、集団極化とそれによる社会的リスクを防ぐための民主政の制度設計を主張している。
(感想としては、この考え方を基礎として後にRepublic.comのような問題意識が現れるのは自然だし、Webの住人としては当事者的な問題であるが、現状のインターネットの無秩序さには事実目を背けたくもなる。
無秩序から秩序を形成するアーキテクチャ思想の普及がWeb技術者に求められるだろう。)

1. 集団極化

 集団極化とはなにか
熟議集団の構成員がその傾向を熟議前よりも極端化させるのが予測されること。
 以下の熟議集団の各事例は、その傾向を強める可能性がある。極端主義的な構成員がいれば変化が大きくなりやすい。
積極的差別是正措置の支持傾向にあるテキサス大教授が意見交換した後でどう考えて行動するのか。
 厳しい銃規制導入に賛成の人が集まって討論すると、人々の見解はどのように変化するのか。
 ある損害賠償金審議の陪審員の考える平均額は150万ドルで最高額と最低額の中央値は100万ドル。統計に現れる一般的現象として、陪審が最終的に決定する額はどうなるか。
 「フェミニズム専制」に憂慮する女性グループが定期的に集まり共通の関心事について議論するとこのグループのメンバーの考えは一年後にどうなるか。
 集団極化のメカニズム
1. 個人の行動に及ぶ社会的影響、とくに自分の評判や自己像を守りたいという願望の存在
2. 各集団における「議論の蓄積」の有限性と、その結果として集団構成員が向かうことになる方向
 熟議集団にあてはまるもの
裁判所、陪審、政党、議会、民族集団、過激派組織、犯罪集団、学生組織、教員組織、職場、家族
 規範的な観点からの純粋な疑問として
「傾向がより極端になる」のであれば、熟議で事態が改善されることはあるか、その理由はなにか。
 孤立集団内の熟議(enclave deliberation)
 その決定が社会的な危険を孕む類の熟議への問いかけ(注:日本でいう閣議決定だろう)。その手の熟議の危険性を減らすための社会的実践の道筋を示すために、集団極化の理解は重要。
 ただし、社会的に不利な立場の構成員の声をより広い公共圏の熟議に届けるための好手段でもある。
それは抑圧された見解を発展させる反面、極端主義や実質上的熱狂を起こしやすい土壌にもなりうる。

2. 社会的カスケード

社会的影響が個人の判断を左右する。情報の不確実性が人間を極端な行動に向かわせる現象について社会的カスケード現象を対象に検討。
 一般論
 集団を一定方向に向かわせることがある社会的影響の多くはカスケード(cascade)効果〔訳注:階段上の多岐のように、あることから次々に影響が及んでいくこと〕が生じた結果。同じ話題や出来事でも集団ごとに行き着く先の考えや行動が全く異なる可能性がある(注:これが良いか悪いかという話ではない)。
 社会的カスケード(注:情報カスケード+評判カスケード?)
集団や公共の問題の関心を喚起するメリット。不必要に不安を煽って個人の判断や政策、法を歪めるデメリット(注:3Dプリンタ,ドローン規制)。カスケードは熟議のプロセスに影響を及ぼすことがある。
 社会的影響が人の言動を左右するメカニズム
1. 情報の外部効果。同じ集団に属する他人の行動や発言を見聞きすることによるもの。
2. 評判の外部効果。同じ集団に属する他人が期待に応えるような行動や発言がとられる。
 古典的実験
ソロモン・アッシュの実験
ある線と同じ長さの線を3本から選ぶ。参加者8人のうち7人がアッシュの協力者で、最初の2回は全員正しい回答を選ぶ。3回目で7人が明らかに誤った回答だけを選び、真の被験者1人の反応を見る。70%以上の被験者が7人に合わせる結果。7人のうちの誰かが正しい回答を選ぶと被験者の誤りは減少。社会集団的な影響を加味しても結果はほぼ変わらず(例えば全員が心理学専攻)。「「社会的プロセスが『同調を強いる力』」によって「深刻な悪影響を受ける」可能性がある」という結論。
ただし、この実験では熟議がともなっていない。熟議は人々を正しい方向に向かわせるのか。
 社会的カスケードと法関連カスケード
社会的影響における情報と評判のカスケードと法や政治との関連性を指摘。
 情報カスケード
情報を持たない人は他人の情報に頼る。事実だけでなく、政治的、法的、道徳的にも判断が働きうる。その情報が確実であるという判断を誰も下せないことで同調がカスケード的に上昇。多くの人が独自にたいした情報を持っていないことが前提。逆の人はここに加わらない。
例:喫煙、抗議運動への参加、ストライキ、暴動、株の購入、テレビの選局
 評判カスケード
本当の意見を表に出さないで同調するケース。評判を落としたり非難されたりすることを避けることで同調をカスケード的に強化。

3. 集団極化の発生メカニズム

 改めて集団極化とは
集団の構成員の傾向が討論を経てますます強くなる場合、極化が起きている。結果として、標準的・平均的な個人に比べて集団は極端な決断をする。
集団極化とカスケードはともに情報的影響と評判的影響が深く関わる点で共通し、集団極化はカスケードと異なって熟議がともなっている。極化はカスケードに似たプロセスを含んだり含まなかったりする。
構成員の二極化や異なる集団間の意見の多様化を指す言葉ではなく、集団の内部で生じる変化を指す。
リスキー・シフトとコーシャス・シフト
どのように初めて「集団極化」が発見されたのか(注:基礎理論という捉え方ができる)。
リスクを冒す決断を含む質問を行うとハイリスクな集団的決定をとる傾向が出るリスキー・シフト現象。
1. チョイス・シフト…集団的決定が行われると熟議集団が極端に向かう変化。
2. 集団極化…集団に影響された結果生じる、個々人の判断の変化。
熟議集団が個人的決定に比べて用心深い決定をとるコーシャス・シフト現象。
 そのメカニズム
1. 社会的比較…構成員からも自分からも良い評価を得るために、リスクを省みなかろうと慎重になろうと、何かしらの立場を示すこと自体が好意的な評価に繋がると考え、立場選択の理由の一つになる。そこでは他人の立場を知ることも重要になる(注:勝間和代の決断力が謎のカッコよさの理由がわかる)。
2. 構成員の立場の有効性は、その絶対的な正しさから離れて、集団内の議論の説得力に左右されてしまう。議論の蓄積の有限性によって偏りが生じ、集団が支持する説得力のある立場に流れていく。
 詳細――および脱極化
1. 構成員がアイデンティティを共有しているかどうかで変化の大きさが変わる。
2. 脱極化…集団が意見の異なる小集団から構成されていて、構成員が意見変更の柔軟性を持つ場合
 統計的規則
 極化しないパターン…傾向を持つ人の意見に説得力がない、集団の外からの制約や衝撃が大きい、ポリティカル・コレクトネス的な理由で中立性に移行する、など。
 極化するパターン…集団の傾向と食い違うけど説得力のある意見を言う人がいる、検討を重ねた上で特定の見解にたどり着いている。
 感情的要素、そして確信の役割
 極化を強める…心情的距離、物理的距離の近さ。運命共同体。競合集団の出現。
 誤った決定を生む可能性がある
 議論の説得力が根拠の強さのみならず構成員の自信によっても左右される。
 極化を受け容れられない構成員の退出によっても、ますます極化が進む。
アイデンティティと連帯意識
 連帯意識のある構成員による集団は反対意見を抑えつけてしまう。
 脱極化と変化をともなわない熟議
 恣意的な構成によって脱極化を図ることは理論上も実際も可能。
 「よく知られ、長く論じられてきた問題については、脱極化は簡単には起こらない」
 いくつかの規則性(まとめと俯瞰)
 ランダムな集団でも、一定の傾向が集団に存在すると極化に向かいやすい。
 脱極化…定まった方向性のないタイプの議論、拮抗かつ柔軟な勢力による集団構成。
 構成員の意見の振れ幅(賠償額、程度問題)は熟議の結果に影響しないというデータ。
 特定集団における熟議の実際――反復的「極化ゲーム」?
 研究では一回の熟議を扱うが、実際には何度も反復される熟議もある。
 問い:集団極化の止まるタイミングや方向転換はどのような場合に起こるのか。
 推測:新たな構成員による議論の持ち込み、リーダーによる方針転換、常識・事実の変化。
 レトリック上の不均整と「厳格化シフト」――広く行きわたった現象?
 レトリック上の不均整:
「他の事情が等しいときに、より高額な裁定を主張する人を他より肯定的に評価すること」
 皆が出した中央値よりも最終決定がちょっと上向きになる現象。
 例:犯罪の刑罰の重さ、消費税率、奨学助成、環境保護資金。
 レトリック的に有意な意見が定まってくる。

4. 極化事例の記述

 法と民主主義が関係する熟議の集団極化。抗争、民族紛争、陪審、委員会、合議体の裁判所、インターネット上の熟議の問題に関する記述の作業。
 社会運動
 雑誌、テレビ特番、ラジオ特番、サイバースペース、インターネット
 共謀の重罰化
 民族紛争、国際紛争、戦争
 (米)陪審、独立規制委員会、合議体の裁判所、立法府

5. 熟議の集団構成と集団極化への方策

キー概念:議論の蓄積(構成員が持つ情報と議論の成果)
異質混交性の良さは、議論の蓄積を多様化し、集団極化を抑えやすい → 異質混交的熟議の推奨
抑圧された孤立集団の問題 → 集団を分離しないと蓄積が発生しない
異質混交集団と孤立集団の両立 → 孤立集団の集団極化のリスク
孤立集団の集団極化を阻止する方策 → 情報をシャットアウトしない、競合集団との情報交換・意見交換

第2章 共和主義の復活を越えて(大森秀臣訳、原文は1988年(!))

0. 簡易まとめ

ストレートに言うと共和主義は古く歴史的汚点も抱えているが、合衆国憲法の起草期に中心的な役割を果たし、今なお有効な魅力を持っている。サンスティーンはこのようにして現代の共和主義復活の可能性を見出し、政治制度設計、法制度設計の問題解釈の有効性を検討している。
 比較対象として多元主義を出している。多元主義功利主義的であり、市民の欲望(選好)が過剰に立法に反映される危険がある。共和主義は、選好の理由や根拠について合意を得るための熟議を重視する。
 また、共和主義はリベラルな伝統から政治的平等や市民的自治の場の提供、政治の熟議的機能などの要素を借りていてリベラリズムとは対立しない。
 米国立憲主義で一定の役割を演じた共和主義の基本的信条(政治的平等、熟議、普遍主義、市民活動)に法制度的具体性を与えるのが現代の課題。復活を乗り越えるとはそういう意味。

1. 合衆国憲法の起草期にみる多元主義と共和主義

多元主義…既存の富の分配や選好といった現実のあらゆる状態をパラメータとして、それらを立法に正確に反映することを保障し、市民が選ぶ代表者は私欲を差し挟まずに市民と立法の中継点であることが前提となる。政治の暴走を抑制する制度的な魅力。
難点:ある集団が民主的解決に適した形で問題の数と性質を限定する能力を無視しがち。
    権力の不均衡や機会と情報の限界を背景にして選好が形成されているという事実。
例:「選好として」ならば社会的マイノリティを追い込む決定も通ってしまう
→政治は不適切な選好のあぶり出しの役割を持つべきである。
   共和主義…は他の思想への代替案として成立してきた背景があり、定義に単一のアプローチは存在しない。以下の特徴は、個人の共和主義的な自立、集合的自治の共和主義的な価値づけにおいて結びつく。
 熟議
 政治的平等…個人と集団の政治過程アクセスの保障
 普遍主義――規制理念としての合意…討論や対話が政治へのアプローチや公共善の構想を調停する(?)
 市民活動
   立憲主義…合衆国憲法の理念に同一? 多元主義と共和主義の長所を汲んでいる。

2. 現代の共和主義

 いくつかの古典的思想アプローチ
 政治から私益を排除するために交益と私益を明確に区別するが、情緒やアイデンティティまでも排除。
 戦争状態…「政治生活は普段の規則的な生活を逃れ、不朽な名声を手に入れる手段として是認される」
 現代の共和主義は、「交易と私益とを明確に分離して、共通善を促進する方向に私益をうまく導こうとする」

第3章 司法ミニマリズムを越えて(米村幸太郎訳、原文は2008年)

0. 簡易的なまとめ

 ミニマリズムとは、一般に最小限の戦略的選択を意味する。これは問題解決の妥協策としてもしばしばとられる。(例:未来の意思決定をするにあたって、選択肢に絡む根本的な問題を解決しようとはなかなかしない(「深さ」よりも「浅さ」)。職場で起きる細々とした問題に対して、他の問題にも当てはまる一般的な問題点の提示にはなかなか踏み切れない「広さ」よりも「狭さ」)(注意:ミニマムとは「スマート」とイコールではない。スマートは賢さを意味するが、ミニマムは必ずしもそれを意味しない)
法廷では、しばしばこのミニマリズムに陥りがちである。裁判官は多様な人々が合意できるような結論と論拠を生むために、浅い根拠をもった判決を好む。ストレートに言えば、深い問題の解決を探るときりがないから。また、ある紛争の部分的な問題に限定する傾向もある。連邦最高裁の全員一致原則はこれを示唆している。
浅さと狭さは独立している。
 浅いけど広い決定…人種隔離は禁止するが、なぜ不正かについては説明を与えない見解
 深いけれど狭い決定…言論の自由について大掛かりに理論展開し、特定の検閲問題に限って言及する
ミニマリストは、深く広い決定はしない。

1. 完全には理論化されていない合意

 憲法の制定や運用の場面で広くみられる現象であり、激しい対立が存在するときの決定にも重要。
 
 人々が憲法理論に合意していなくても、憲法的実践や権利の合意に至ることは多い。
→うまく機能している憲法秩序とは、完全には理論化されていない合意を通じた問題解決の実践
 概念的下降…ひとまず括弧に入れて考えないと答えられない問題への対処
 「沈黙が建設的な力をもつ」
 婚姻の権利の根拠、人種隔離を禁じる根拠
 「とりわけ激しい対立のもとでは、合意は完全に個別的となる」
 人々は結論だけに合意し、いかなる理由づけにも合意しない。
 概念的上昇…「少なくとも傑出した裁判であれば、彼はある種の」それ「を体験することになるだろう。「概念的上昇」においては、多かれ少なかれ孤立して断片的であった低いレベルの原理が、より一般的な理論の一部となる。」…「理論的に低いレベルにとどまろうとする裁判官は、俗物であり、現実からの逃避者であるとすらいえる。」
感想:法と倫理の境界が曖昧になっていることが旨味なのかもしれないが、一定のリスクを孕むのでは。

 とりあえず以上。岡田先生が色々と議論のアシストをしてくださったけど、とりあえず割愛。ただ、3回目の輪読にして「岡田節」を感じるレベルに来ている。岡田先生に限らず、最近来た先生はそれなりに独自の語りのスタイルを持っていて面白い。
 2012年3月に退官された矢野正俊先生の語り口はよく「矢野節」と呼ばれていたのを覚えているけど、(こういうまとめかたは乱暴だけど)同じフランス系の田中柊子先生もよく話を聞いているとモノや概念の形容の仕方に文学的な機微やセンスを感じずにはいられないし、「田中節」の初期というか基盤が確実に確立されてきているように感じる。
 ナントカ節は、表現と1対1対応ではない。必ず本人から出力され、表現され、総合的な体験になる。それは一種の煽動ではなく、聴者を学問的な場所へと誘ってくれるし、一般向けに開かれた講義などではなかなか聞けない貴重な体験だと思う。講義1回で1本の映画が見れるなどと簡単に経済的価値に置き換えるのは恐れ多いことだと思うくらいには。
 自分にもスネオ節があるのだろうか。思想レベルでは他人と相対化できそうな気はするけど、やっぱり話すとスネオらしさは全然だと思う。たまに研究会とかで流暢に発言できるようにはなったけど、なんだか我のない声だと思う。これはまだ悩んでるし、実践のなかで掴んでいくしかない。