ネット著作権モラルを破る側の論理

Twitterのタイムラインで、他人の描いた絵を自分のpixivアカウントに投稿して、絵師側と相手の間でトラブルになった例を見かけたことがある。いわゆる画像の無断転載であり、絵師側が相手に絵の削除を呼びかけるのは正当である、ように見える。しかし、これはネット著作権モラルを「守る側」の論理に過ぎないのではないか。なぜネット著作権モラルが破られるのかについて、「破る側」の観点から検討されたことがあっただろうか。

私はモラルを破る側が正当であるとか、味方に着くとか、そういうことをしたいのではない。モラルの破られる原因を明らかにしないままモラル違反を批判することは、モラル違反を根本的に失くすことには繋がらない。「無断転載」は断罪側の意味付けに過ぎないのにも係わらず、無条件で相手を斬り捨てられる「常識」や「マナー」として扱われていることに遺憾であると思う。

こんなことを言うと、「その場所にたまたま置いてあったという理由で物を持って行ったら盗難にならない」などと批判されそうだが、あくまで私が想定している場は携帯、スマフォ、PC〜ネットという空間であって、ネットだからこそむしろ捨象されている要素があるのではないかというところに、私の問題意識はある。そこを具体的に検討していくことで、むしろ人間の行動を規定する携帯、スマフォ、PC〜ネットの持つ特質を明らかにすることができるのではないか。人間が情報環境で不自由にならないためのヒントが、そこにあるように思う。